石垣島|明和の大津波

石垣島を襲った大規模自然災害…


▽明和の大津波(石垣島を襲った未曾有の災害)1771年(明和8年)4月24日午前8時頃
石垣島近海でマグニチュード7,4
地震が発生しました
地震の揺れによる被害は比較的軽く
一部の建物や石垣の塀が崩れる程度であったが
その後発生した大津波により八重山諸島や
宮古諸島は甚大な被害を受けました…
この津波は通称「明和の大津波」と言われている
波から陸を守る防波堤のような
サンゴ礁のリーフ(浅瀬礁)が発達した石垣島だが
リーフを乗り越え山のような波が押し寄せた
宮良海岸のほうから襲ってきた波は宮良川磯部川
轟川などに沿っていっきに島の深部まで到達し
周辺の村々を襲い、田畑・家屋などを
飲み込みながら名蔵湾方面へと通り抜けた

▽宮良湾に浮かぶ岩
島の総面積の40%が海水に洗われ
波の高さは最大で33mに達した
この津波で白保・宮良など8つの村が
跡形もなく全壊し、半壊の村も多数あった
死者・不明者数は八重山諸島全体で9,313人に及び
津波以前の人口 28,992人から
じつに32%の人々が犠牲となったその後も津波による生活環境・衛生環境の悪化
田畑の冠水による農作物の不作などで疫病や
飢饉がおこり多くの人が亡くなった
津波から100年後の明治初期には
人口は1万人ほどまで減ったという
多くの人が亡くなった村々は被害の少ない
離島から寄百姓(強制移民)を受け入れた
白保村と大浜村は波照間島から
宮良村は小浜島から
伊原間は黒島からなどそれぞれ移住者を受けいれ
共に支えあって村を再建していった

石垣島の東海岸には津波で打ち上げられた
大きな岩(津波石)が多数点在する
そのうち5個の大きな津波石は災害の悲惨な
記憶を風化させず未来へ伝えるという目的から
国の天然記念物に指定されている

▽人魚の伝説

津波による人魚の伝説があり
昔、野原集落(現・星野集落)の老人が
漁をしていると網に美しい人魚がかかった
助けてくれたら秘密を教えると言われ人魚を放すと
「明日の朝 大津波が襲ってくる」と言ったそうだ
急いで村へ戻った老人はみんなに知らせて
近くの山に避難し難をのがれた
この村では一人の犠牲者も出さなかったそうだ
津波が来るということは隣の村(白保や宮良)にも
知らせたが聞く耳をもたず多くの犠牲者がでたと言う
津波の教訓を後世に伝えるべくこの伝説が
津波のあとに創られ、語り継がれてきたそうです

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