石垣島|白保村のこと
白保村を知り尽くすスタッフが
白保村の歴史と魅力をご紹介!!
▽白保村
白保村は石垣港より車で約20分(約10km)に
位置し現在 約1600名が暮らしています
赤瓦の家やサンゴを積み上げた石垣の塀
防風林として植えられた福木並木が
今も残るのどかな集落です
人々は明るく陽気で冗談好き
深刻な問題や失敗談なども
冗談にかえて笑いとばしてしまいます
▽赤瓦の家
また郷土芸能が盛んで、三線教室や
舞踊研究所があり芸達者な人が多く
豊年祭には白保村独特の芸能である
「稲の一生」が演じられ、旧盆には獅子舞
十五夜には棒術が奉納されます
子供達は小さい頃からこうした行事に
参加することで郷土芸能に親しみ
自然と身につけています
村出身のミュージシャンや民謡歌手として
活躍してる人も多いです
村の歴史は古く、古い史書の1629年の記事に
「白保村」と記されています
1700年の前半には人口を増やす為
波照間島から300人余りを移住者として受け入れ
その後人口は増えていきましたが
▽津波大岩
1771年(明和8年)4月24日に発生した
地震による津波(明和の大津波)で
破壊的な被害を受け当時の村人1574名中
98%にあたる1546名が死亡し生存者は
たった28名だったと記録されています
津波の後、再び波照間島から
400名余りの移住者を受け入れ村を再建
さらには沖縄本島、宮古・多良間島からも
移住者を迎え白保村ができました!
近年では本土からの移住者も増加
そんな平和な村もかつて新空港建設場所に
白保の海岸が候補となり賛成・反対で
二分したことがあり親兄弟・親戚同士で反目し
村の行事にも支障をきたすほどだった
1992年に当時WWF総裁だった英国の
エジンバラ公フィリップ殿下が白保海岸の
視察にこられたことも白保の海を
世界的に注目させるきっかけとなったとなった
結局、新空港予定地は陸上案に決まり
海への影響が少なくなるということで村は
落ち着きを取り戻し、元の平和な村に戻った
エジンバラ公が祈念植樹をした
近くの海岸には訪問記念碑が立っています
▽海へ続く道
現在、村には小学校と中学校、郵便局、駐在所
消防分団があるほか、歯科医も1軒開業している
新石垣空港も住所は白保となっており
村から約4km(車で5分)の距離である
空港周辺や白保集落にはレンタカー業者が軒を並べ
人気の食堂ヤカフェ・ケーキ店などは
日々地元の人や観光客でにぎわっています
そんな村で生まれ育ったステキな男性と出会い
私はサブヨメ(白保嫁)となりました!