石垣島と台湾のふか~い繋がり

石垣島と台湾を繋ぐ歴史のお話


▽ダムの目の前にある台湾農業入植記念碑

石垣島と台湾の距離は260kmほどですが
実は石垣と那覇の距離より
近いということをご存知でしょうか?
ちなみに石垣那覇間は410kmです
いかに地理的に近いがが分かりますよね?
今から100年ほど前、台湾が日本の
植民地となった時代がありました
パスポートもいらないし
その当時は石垣島でも多くの人が
台湾の大都市へ出稼ぎや商売の
可能性を求めて移り住んだといわれています
昨年107歳で亡くなった私の祖母も若い頃は
台湾にあった日本の銀行で
事務員をしていたと聞きました
叔父たちに至っては台湾の高雄にあった駅構内で
弁当やお菓子を売り歩いていたそうです
昭和19年頃になると戦時中ということもあって
軍令により島民、特に女性や子供達の多くは
半ば強制的に台湾へ疎開させられもしました
私の父親は祖母が疎開中に高雄で生まれ
終戦後石垣へ引き上げてきたそうです
今でも、島に住む地元高齢者の中には
台湾からの引揚経験者も少なくありません

▽台湾からもたらされたパイン産業記念碑

また戦前戦後を通じて台湾から島にもたらされた
代表的なものに農耕用の「水牛」
「パイナップル」等が挙げられます
特にパイン産業は戦後の一時代を築き
石垣島内にも多くの缶詰工場が建てられました
当時の若い女性たちにとって
割りの良いバイトだったらしく
義母も工場で働いて小遣い稼ぎをしていた
時期があったと語っておりました
しかしながら活況を呈したそんな
パイン産業にもやがて陰りが見え始めます
次第に海外産の安価なものが大量に流入し
一気に斜陽産業となりました
当時の工場は全て廃業し
今ではかつての黄金時代を想像するのすら
難しい状況となっております

▽今では島の特産品として大人気のパイナップル

そんなパイン産業ですが
ここ20年で再度脚光を浴び始めました
今度は缶詰ではなくパインそのものの
質が上がり注目されるようになったのです
観光客数が急増したこともあり
新たな需要が生まれたのでした
石垣島のパイナップルは甘くて美味しい
評判が評判を呼び、最近では夏の贈り物として
一番人気を誇っています!
このように島の特産品として
見事な復活を遂げたのです!!

▽今では農耕用ではなく
 観光用の水牛車として人気を博している

つづいて、農耕用に輸入した
水牛たちはどうなったのでしょうか?
輸入した当初は畑での耕作作業が
人力から水牛に代わり農業を取り巻く環境が
劇的に変わったとも言われています
しかし、機械化が進んでいく中で
その需要も変化していきます

昭和50年代〝水牛〟は一つの転機を迎えました!
皆さんご存知、あの水牛車観光の登場です
当時、平田観光創業者である
平田哲三の号令で竹富島の新田観光と提携し
水牛に客車を引かせるという画期的な
観光スタイルを考案し実現しました!
やがて由布島観光の
水牛車へと繋がっていきます!
こうして生まれた水牛車観光は旅行業界に
衝撃を与え、あれから50年たった現在も
息の長いツアーとして人気を博しています
さて、このように身近な観光や贈り物の中にも
目を向けると台湾と島との深いつながりを
見つけることが出来るのです

▽台湾からの移民の多かった名蔵地区

戦前から戦後にかけて台湾からも
多くの人々が入植してきました
厳しい自然環境や戦争など数多の試練を乗り越え
石垣島の人々と共に島の発展に取組んできました
現在は農業だけでなく産業、経済界でも
活躍する多くの人材を輩出しています

▽名蔵の地元住民はもちろん
 台湾からの移民の方々も参拝する名蔵御嶽

市街地に目を向けてみましょう
実は島の中心街のあちらこちらで
中華料理店の看板を見かけます
そうです、その大半はかつて台湾より
入植された方々の子孫達が経営し
島の文化にとけ込み八重山の
新しい文化として確立されています
島民にとってもなくてはならない存在です
いかがでしたでしょうか?
あまり知られてはおりませんが
今でも石垣島と台湾は
ふか~くふか~く繋がっているのです

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